徳島県で作られた文字。蒅が生まれる土壌を探ってきたよ

くらし

すくも?

もう5年くらい前だが、「蒅」なる文字が徳島県発祥だと判明した旨の記事を見かけた。
徳島新聞アーカイブ –
https://www.topics.or.jp/articles/-/500660

読みが「すくも」であること、どうやら藍染に使うものらしいことだけ頭の片隅に残しつつ、いつか現地で色々見学できたらなーとか思って記事も斜め読みしてしまった。

ちょうど旅行中にそのことを思い出したので、慌てて蒅についてあれこれ学んできた。

藍の館さんにお邪魔してきた
※該当の記事は無料掲載期間が終了しております。僕自身は有料登録をして読み直しましたが、その内容の核心的な部分は触れない予定です。

蒅と藍染

すくもとは、すっごく雑にめっちゃざっくりいうと藍の葉っぱを干して放っといたもの。……待ってこの上なく雑になった、ちゃんと説明する。

これがすくも

紺色や濃紫といったイメージがある藍色がアイと呼ばれる植物から取れるのはよく知られるところだろう。

藍色の素となる成分は葉っぱに含まれる。収穫したアイから葉っぱだけを選り分けて乾燥させるのが藍造りの第一歩だ。栽培まで含めるともう少し歩数増えるけど。

アイにはそのままでは藍色の色素が含まれておらず、発酵を経た化学反応によってあの色になる。そのため、干したアイの葉っぱは再度水を加えられ寝床で3カ月以上にわたって休息→攪拌が繰り返される。

大体60℃くらいをキープし続けるそうだ。これがいわゆる「寝せ込み」という工程にあたる。

スギみたいな葉っぱは願掛けかな?

こうしてできるのが。黒紫で、どろどろで、ぐちゃぐちゃしているものが映像では確認できた。乾燥した蒅を触らせてもらったが、なるほど藍色の染料だと思えない程度には黒い。



保管しておいた蒅は染めの時に再び発酵させられる。今度は色を付けるためではなく、微生物の働きで色素に水溶性を持たせるためだそう。

灰汁を混ぜて発酵中の染料。藍の館では藍染体験もできるよ

アイを栽培し、藍を育て、藍染を造る。アイは一年草だし藍作りも数ヶ月かかるし藍染も微生物が元気な時期とか結構ナマモノ要素が強かったりして、伝統的な藍産業は1年でやっとサイクルが1周する非常に手間暇のかかったものなのだ。

今では人工的に藍色の染料が作れるそうで、残念ながら「すくも」は徳島県以外でほぼ見られない。

文字について

草かんむりに染める。伝統的な藍染に使うにぴったりのこの文字は徳島発祥だと冒頭で述べた。

マジで大雑把にいうと江戸時代後期の徳島県関連の書物に「蒅」の初例と思わしき文言があったということだそうで。「すくも」が徳島の方言だとする記述もあるそうだ。

阿波藍あわあいと呼ばれる徳島産の藍は全国シェアの大半を占める。そう、徳島県は藍の一大産地なのだ。寡聞にして知らなかった…。

手ぬぐいを染めた。実物はこの10倍綺麗

藍と徳島

阿波踊り、アワライズ、阿波藍。旧国名の阿波を冠し、徳島県を代表するもののひとつである藍産業。

アワライズ。徳島には阿波踊りを踊るためのエナジードリンクというクレイジーな商品がある

室町時代から製造の記録があったというほどの歴史だが、それは徳島の地理的な状況ともマッチしていたからだそうで。

阿波藍は主に、一目でそうとわかる名前の板野郡藍住町などを含めた吉野川流域エリアで生産される。日本三大暴れ川という褒めてるんだか貶してるんだか分からない称号を持ち、古くは万葉集にも詠まれるくらいの急流で知られる吉野川。

大歩危(おおぼけ)(一説には、大股で歩くと危ないの意)と小歩危(こぼけ)(小股で歩いても危ない)という二段オチみたいな名前の渓谷からも厳しい自然を感じさせてくれる吉野川。

流域が安定せず洪水も頻発したようで、定期的に安定した量の水を要し用水路などのインフラ整備が重いイネは非常に育てづらかったみたい。一方で、激流はそのたびに上流から肥沃な土壌を運んでくるという恩恵もあり、最悪場所を変えてやり直すということがしやすい畑には比較的適していた。

恐らく藍は、他の作物よりもずっと収益が良かったんだろう。江戸時代に藍染めが全国へ広まると需要は急増し、また阿波藩による後押しもあって、阿波の藍は全国有数の産業へと発展した。

徳島と藍

えらいやっちゃえらいやっちゃ。徳島といえばで思い浮かぶ人も多いだろう阿波踊り。これも阿波藍と深くかかわりを持っている。

これは工事現場の阿波踊り

吉野川流域で作られた藍は、藍商人たちの手によって全国へと広まった。各地から上質な藍製品を求めて買い付けに訪れる人々との交流を通じて、阿波の文化もまた発展していった。

接待の場となった藍屋敷では豪華さが競われ、財を成した商人たちは芸事を好んだ。そうした中で各地から人形浄瑠璃が招かれ、後の阿波木偶あわでこへとつながる文化の土壌が育まれていった。

「うだつが上がらない」の「うだつ」は、屋根から張り出した防火壁を指す。豪商たちがその豪華さで財力を競った名残は、今も文化財として各地に残されている。

また、阿波の人々は外から訪れる文化も積極的に取り入れていったようだ。地域の盆踊りをベースに、全国各地の芸能との交流を重ねながら磨かれてきたものが、現代へと受け継がれる阿波踊りなのだという。

徳島と蒅

阿波藍は、吉野川の氾濫や肥沃な土壌といった徳島ならではの地理的条件の中で育まれてきた。暴れ川に翻弄されながらも藍産業を発展させてきた歴史は、まさに徳島の風土と人々の営みが生み出したものなのだろう。

いや、単なる経済的な利益に留まらない。藍商人たちが築いた富は、芸能や町並み、人々の暮らしへと還元され、阿波踊りや阿波木偶をはじめとする文化の発展を支えてきた。

唐突な徳島ラーメン(おいしい)

阿波藍は産業であると同時に文化の礎でもあり、徳島県にとって切っても切り離せない唯一無二の存在なんだなと思う。土地の風土は産業を育て、産業は文化を育てる。その積み重ねの中から生まれた「蒅」という一文字にも、徳島ならではの物語が垣間見えた。

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