ポルノグラフィティ「アゲハ蝶」の歌詞は間違いか??
「何かをしてほしいと人にお願いをするときは『〜して下さい』と漢字で書いてはいけません」と言われたことがある人は一体どのくらいいるだろうか。
「くださる」「ほしい」などいわゆる補助動詞や補助形容詞は、本来の意味を失って他の言葉を補助する意味を持つという風に教わる。
冷たい水をください(本当に冷たい水を「くださる」ことを望んでいる)▶本動詞
できたら愛してください(愛してほしいだけで、何か物が欲しいわけではない)▶補助動詞
また、これら補助動詞は”開いて”、つまり漢字ではなくひらがなで書くのがよいとされることがある。
いやそれならまだいい。ネット検索してみるとやれ「補助動詞はひらがな/本動詞は漢字で書くのが『正しい』」だとか、やれ「下さいとくださいでは意味が違う」だとか、従来の日本語に革命を起こすような見たことも聞いたこともない画期的で素晴らしい論説もたくさんたくさん見られた。
一体どこの誰がその「正しさ」を保証してくれるのだろうか?
さらに驚くべきことに、「下」という漢字は失礼なので何かを貰いたいときでも目上の人には「ください」を使うようにとのご指導もあった。言葉狩りですか??
というか、名だたる企業たちが名前を出して頓珍漢で素っ頓狂なおもしろワールドを展開するのはやめてほしい。ただでさえ検索順位が高いのに、そこにネームバリューまで加わるとまるで本当のことを言っているように聞こえるんだから。
ともかく、彼らの言い分を信じてみるとこういうことになるのだろうか?

結論を急いでしまうが、こんなのは正直どっちでもいい。ただし、僕個人としては補助動詞を開いて書く方が「望ましい」場合が多いと考えている。
なるべく多くの材料から意見を組み立てていきたいと思うが、この記事中で僕が声を大にして言いたいのはこの文の前後2段落である。
反論①_辞書で用例を見てみよう
非常に大切で、なおかつともすれば見落とされがちな考え方がある。それは「正しい」と「そのほうが良い」には天と地ほどの差があるということである。
正否と好悪は別と言い換えてもいい。正しさは客観、その方が良いと思うのは主観の集合による価値判断である。
国語辞典は別に言葉の定義を述べているわけではなく解釈の1つを提示しているに過ぎないとは思うが、言葉や日本語よりも自分のとこのサイトPVが大事な方々(そりゃそうか)が言う「正しい」よりは信頼できるだろう。どうせ「〇〇ちゃんも△△くんもスマホ持ってるー!→みんな持ってるー!」くらいの雑な一般化なんだから。「みんな」が本当に全員なのか、見てやろうじゃないか。
〇岩波国語辞典(H23 第7版新版第1刷)
くださる【下さる】
①(主に、目上の人が)好意・親切から、物をこちらに与える。単に丁寧な言い方としても使う。「お茶を一杯―い」
②(略)好意的に……なさる、という気持ちを表す。「お読み(になって)―」
命令形は「ください」。(一部抜粋)
〇旺文社国語辞典(R5 第12版)
ください【下さい】
①与えてくれるように相手に頼む意を表す。「お菓子を―」
②補助動詞「下さる」の命令形。(中略)相手に頼む意を表す。「どうかお納め―」
〇新潮国語辞典 現代語・古語(H7 第2版第1刷)
ください【下さい】
①「与えよ」「くれろ」の意の尊敬語。「どうぞお手紙を―」
②(動詞連用形の下について)他への要望を表す。「おいで―まし」
③「下さる」の連用形「下さり」の音便形。「私にも―ませんか」
〇大辞林(R1 第4版)
ください【下さい】
①動詞「下さる」の命令形。相手に何か事物を請い求める意を表す。いただきたい。ちょうだいしたい。「お電話を―」
②(補助動詞)動詞の連用形に「お」の付いた形、動作性の漢語に「ご(御)」の付いた形、動詞の連用形に「て(で)」の付いた形などに付いて、相手に何らかの動作をすることを請い求める意を表す。「どうぞお読み―」
③(「…(さ)せてください」の形で)自分の行動について相手の許しを求める意を表す。
〇広辞苑(第7版)
ください【下さい】…①いただきたい、頂戴したいなど相手に事物を請い求める意を表す。「小遣いを―」
②動詞の連用形または漢語に添えて、相手に懇願する意を表す。「あれを御覧―」「本を買って―」
〇日本国語大辞典(第2版)
ください【下】
(略)現在、標準口語では、この形が、「くださる」の命令、要求表現として用いられる。動詞用法をはじめ、「行ってください」「御覧ください」のような、補助動詞用法もある。
用例…1770年(しぼってください)、1792年(放して下さい)、1906年(画にかいて下さい)、1911年(わたしに下さい)、1935年(あなたを下さい)
〇学研 国語大辞典(S56 第11刷)
ください【下さい】
①「くれ」の尊敬・丁寧語。相手にある物・物事を願い求める意を表す。ちょうだいしたい。「お手紙を―」
②相手に要望・懇願する意を表す。「お乗り―」
参考→②はふつう、かな書き。
〇大辞泉(H10 増補・新装版第1刷)
ください【ください】
①「くれ」の尊敬語。相手に物や何かを請求する意を表す。ちょうだいしたい。「しばらく時間を―」
②「お」を伴った動詞の連用形、「ご(御)」を伴った漢語、また、動詞の連用形に接続助詞「て」を添えたものなどに付いて、相手に何かを要望・懇願する意を表す。「お座り―」
また、初版が古い辞書だが…
〇新編大言海(S61年 新編第7版)
「ください」こそ立項がないが、本動詞及び補助動詞の「くださる」がともに【被下】として立項されている。
唯一学研の辞典のみ補助動詞の用法を「ふつう、かな書き」としているが、立項自体は漢字表記でされている。それ以外の手ごろな辞書たちでは使い分けにすら触れられていなかった。
少なくとも、昭和末期には補助動詞の「ください」は漢字を開いて書かれることが多かったとは言えるかもしれない。
しかしながらSEO以外に専門性のない、内容的には誰でも書けるようなブログしか書けない皆さまよりはるかに権威のある辞書を引いても、中々正しいとか意味が違うとかの表現は出てこない。一体彼らは何を見てそのような妄言を放っていたのだろう?
反論②_使い分けってここから見た?
まあただ、「ください」と「下さい」を明確に使い分けている界隈は存在する。文化審議会「公用文作成の考え方(建議)」には以下のように書いてある。
I表記の原則 I-1漢字の使い方 (3)常用漢字表に使える漢字があっても仮名で書く場合
より書き表そうとする語に使える漢字とその音訓が常用漢字表にある場合には、その漢字を用いて書くのが原則である。ただし、例外として仮名で書くものがある。
(中略)
動詞・形容詞などの補助的な用法例)~(し)て行く→ていく ~(し)て頂く→ていただく
~(し)て下さる→てくださる ~(し)て来る→てくる ~(し)て見る→てみる
~(し)て欲しい→てほしい ~(し)て良い→てよい
(実際の動作・状態等を表す場合は「…街へ行く」「…賞状を頂く」「…贈物を下さる」「…東から来る」「しっかり見る」「資格が欲しい」「声が良い」のように漢字を用いる。)
公用文と呼ばれる文内においては以上の使い分けを行うとある。
繰り返しとなり恐縮だが、そう使い分けているだけであってかな書きが正しいとか漢字と仮名で意味が違うとかそういった主張は展開されていない。
同建議に公用文の具体例として挙げられているのは以下の表の通りである。

つまるところ、省庁や公的機関による文章の書式を定めたものだと言える。
また、
法令や告示・通知等に用いられてきた公用文の書き表し方の原則が、今後とも適切に適用されることを目指している。それとともに、各府省庁等が作成する多様な文書それぞれの目的や種類に対応するよう、公用文に関する既存のルール、慣用及び実態に基づき、表記、用語、文章の在り方等に関して留意点をまとめたものである。
ともあるように、あくまでも公用文の範囲内での原則、ルール、慣用、実態であり、少なくともこの建議には日常の言葉遣いにかかわる規定は入っていない。
なお公用文の書き方に関する指示は昭和27年から現在に至るまで改正を繰り返しているが、補助動詞を開いて書くように明示されたのは昭和48年からのようである。
下さいください問題をもう少しだけ深掘り
「ください」「下さい」のような使い分けがあるメディアと言えばまず新聞が思い浮かぶ。
戦後の1946年に当用漢字表が公布されたが、これは今も使われる常用漢字表の前身となるもの。要は「漢字たくさんあるしある程度みんなが見ると思われる範囲では使えるものを制限しよう!」みたいな考えがあって、適用範囲を以下のとおり定めている。
この表は、法令公用文書新聞・継続および一般社会で使用 する漢字の範囲を示したものである
また、使用上の注意事項としてこう明示されている。
代名詞・副詞・接続詞・感動詞・助動詞・助詞は、なるべくかな書きにする。
補助動詞は文法上動詞で、ここでいう制限の対象外ではある。また、「なるべく」と書いてあり強制力を伴うものではないことも大事。
当用漢字は1981年の常用漢字表制定によって廃止されるし、その制限範囲の狭さによって例外が多々生まれたりするのだが、この「なるべく」が後世に拡大解釈されていったのかもしれない。
各新聞社で表記の基準をそろえるために「新聞用語集」というものが新聞用語懇談会によって定められている。こちらも前身となるものがあったりなんなりするのだが、2026年3月現在のものは補助動詞「いく」「いただく」についてひらがな表記を示している。
また、時事通信社「記事スタイルブック : 記者のための新用字用語集」(1981)には以下の通り。
接続詞、感動詞、補助動詞、形式名詞は、できるだけ平仮名で書く。
新聞を毎日読む人は2024年時点で36.1%であるという。昔はもっと新聞の力が大きかっただろうし、このように書き分けられた文章を人々が見る機会も多かっただろう。
慣例も
また、広田栄太郎「用字の技術 : 当用漢字・現代かなづかい・新送りがな」(1959)にこんな記述も見つけた。
(前略)以上のほかに、当用漢字で書ける語でも、次のようなものは、教科書ではかな書きにする傾向がある。
(中略)(六)補助動詞
ということで、新聞などで見るほかにも開いて書かれる補助動詞のインプットはたくさんあったと思われるし、ましてアウトプットもそのように書かれたのだろうというのは想像に難くない。
しつこいようだけど
で、何度も言う通り、これらの規定ないし告示は補助動詞を開いて書くことをなんら強制していない。言ってしまえば、その方が見やすい/分かりやすいからそう書いているに過ぎない。
僕個人としては補助動詞を開いて書く方が「望ましい」場合が多いと考えていると言ったのは端的にこの理由のみによる。此の様に文章中の漢字割合が多い文章は少々読み難いのは体感として御判り頂けると思うが、漢字とひらがなの使い分けによって文章にリズムやメリハリを持たせる効果のために分かち書きをするのは平素自然と行われているだろう。
まして、一般的な文書やビジネス文といった明確にそれを読む相手が存在することばにおいて、読みづらい表現や表記を行わないというのはもはやマナーの範囲だし。
特に補助動詞は本動詞にくっついて出現するため、漢字で書くことの多い本動詞とともに書くとしたらかな書きにする方が見やすくなる割合が多い。
そういう意味で、例えば上司などに補助動詞を開いて書くように言われたら、取り敢えず従っておくのが無難だ。
ただしそれを以ってやれ正しい日本語がどうだとか言ってくる奴は無視でいい!!!!変なルールを作って行動を縛ってくるマナー講師とかと同じ匂いがする。
そんなに熱くなるなって
言葉遣いについて何らかの見解を述べた時にカウンターとして使われる「でも言葉は生き物だから…」という免罪符がある。その場その場の状況に合わせてコロコロと変態するキメラである前に、共同体の中でのプロトコル言わば約束事のようなものが言語であるべきだ。
補助動詞はいついかなる時もひらがなで書くのが「正しい」というような、不必要な制約はなるべくない方が助かる。
もちろん輸出(しゅしゅつ)がユシュツという読みを獲得したように違う読み方が染み付いてしまって不可逆な変化も沢山あるにはあるんだけど、定説とされてしまう前に食い止めたい「間違い」だって沢山ある。
SEOで頭がいっぱいになっちゃって、タイトルだけやたら強気な記事に自由な表現を奪われたくはない。
