はじめに
もうだいぶ前の話だけど、兵庫県南部の海沿いを車で走っていたとき「阿閇神社」という看板がふと目に入ったことがある。その日は急いでいて、読み方すら確認せずに通り過ぎてしまったのが今になってちょっと悔しい。
Wikipedia で調べたところ、「阿閇神社」は「あえじんじゃ」と読むらしい。つまり「閇」で「え」と読むというわけだ。周辺にはかつて阿閇城があったり「あえのはま広場」という公園もあったりするので、この神社特有の表記ではなく地域に根付いたもののようだ。
阿閇の名前と文字について
実際このあたり──兵庫県加古郡播磨町とその周辺──は、もともと「阿閇村」という名前の地域だったらしい。しかも阿閇村、兵庫県で“最後まで残っていた”村で、1962年に播磨町へと移行するまで存在していたそうだ。というか、日本で最初に「村」がゼロになった都道府県が兵庫県だって今初めて知った。
阿閇という地名自体はもっと古いようで、中世には住吉大社の荘園として阿閇の名があったらしい。

さてこの「閇」だが、実は「閉」の異体字で『玉篇』では俗字扱いになっている。さらに調べてみると、万葉仮名のヘ乙類にも使われていたらしい。
万葉仮名が使われていた時代は今より母音の種類が多く、後に同じ[エ]に統合される音でも甲類と乙類で別々に書き分けていた。いわゆる上代特殊仮名遣というやつだ。
ここでは「ヘ①とヘ②の違いがあったんだな」くらいの理解で十分だと思う。正直学問的に踏み込むと沼なので、これくらいの距離感でちょうどいい。僕もあんまり知らないし。
この「上代」というのは奈良時代ごろを指す。阿閇という地名の由来も、どうやらそのあたりまで遡るようだ。
考えてみたら閉という正体があるのに俗字体とされるものを用いている時点で、それがよく使われていた時代のスナップショットにもなっていたと考えることもできるな。ざっくり言えば、阿閇は古語の「あへ」という音をそのまま地名に使ったものに過ぎず、特に「閇」という字に深い意味があるというよりは表記の問題に近いのだ。
『播磨国風土記』によると、この地の近くで景行天皇が神に「御食(みあえ)」を捧げたことにより阿閇村の名がついたらしい。景行天皇は日本武尊の父で、まあ実在したかどうかは扠措いて阿閇=御食という説が出てきた。
また、豪族の阿倍氏との関連も指摘されているようである。
阿閇の御食
阿閇は御食(饗とも書くな)、神に捧げる食べ物を表した可能性に触れた。播磨町は瀬戸内海に面した兵庫県南部であり、風土記でも阿閇津の名前で出てくるので、恐らく海産物がよく獲れるエリアだろう。
Wikipediaには阿閇漁港でノリやスズキが採れるとあり、また播磨町ホームページには「はりだこ」なるスルメイカのように広げて干したタコが特産品として紹介されている。

いつか阿閇神社に立ち寄った際は、これらの「あえ」にも舌鼓を打ちたいところである。
参考
https://www.town.harima.lg.jp/kikaku/chosejoho/koho/kohoharima/back/2014/documents/201406_42.pdf
